■ 音の色 山田流の筝を桐の木の選定から音の調整まで、すべて単独で仕上げる数少ないこだわりの筝師。父・今村霞崖も皇室や徳川家の調度品も手掛けた名筝師だった。一度はサラリーマンの世界に入った今村文彦だが、色弱に災いされ音色の道を継承し、今や名人の域に。
■ ガンから起死回生 長年、常に本番で失敗が許されない精巧な作品を作ってきたストレスからか喉頭ガンと心臓病で一度は死を覚悟した。 「自分の作った筝をあてにしている一流奏者のために自分と同じ技量を持つ後継者を育てるまでは死ねない。」との一念から放射線治療後にガンがきれいになくなった。現在は未来に残る音色が途絶えないよう、後継者育成にも力を入れている。